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信楽(しがらき)の歴史
 信楽町(しがらきちょう)は、滋賀県の南東(甲賀地方)に位置します。陶器の信楽焼で有名です。
 2004年10月1日に、水口町、土山町、甲賀町、甲南町、信楽町が合併して甲賀市(こうかし)となったため、現在は「甲賀市信楽町」として、その名前が残ってます。古くは、奈良時代、聖武天皇が近江国甲賀郡(現在の滋賀県甲賀市信楽町)に営んだ離宮、『紫香楽の宮』、後に甲賀宮(こうかのみや)とも称され、都となった次期があります。
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紫香楽宮(しがらきのみや)
740年(天平12年)の藤原広嗣の乱ののち、聖武天皇は恭仁京(現在の京都府木津川市加茂町付近)に移り、742年(天平14年)には近江国甲賀郡紫香楽村に離宮を造営しました。これが紫香楽宮です。
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信楽の産業
 信楽は、良質の陶土が産出します。長い歴史と文化に支えられた信楽焼は、日本六古窯のひとつに数えられています。穴窯によって、中世末期頃より壺(つぼ)、甕(かめ)、擂鉢(すりばち)などの焼き物づくりが始められ、日本独自の陶器産地として栄えてきました。
 信楽特有の土味と、穴窯や登窯の焼成によって、温かみのある火色(緋色)の発色と自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいが信楽焼の特徴です。土と炎の芸術として“わびさび”の趣を今に伝えています。
 素朴さのなかに“わびさび”を求める日本人の風情を表現したものとして、室町・桃山時代以降、「茶陶信楽」として茶人をはじめとする人々に親しまれ、珍重されてきたのもその所以です。
  商業が発達した江戸時代には、茶壺をはじめ、土鍋、徳利、水甕などの日常雑器が大量に生産され、新しく開発された「なまこ釉」を使った火鉢生産がはじまったのは明治時代です。
 生活様式が大きく変貌した、昭和の時代には向上する生活水準に追随できず、火鉢等の大物陶器が減退するなかで、一大転機を向かえます。火鉢の技術となまこ釉の組み合わせから新しい商品、植木鉢が生まれました。職人の知恵と技と努力のたまものです。
 今日に至っては、小物から大物に至るまで信楽焼独特の「わび」「さび」を残し大勢の焼き物ファンに親しまれています。
 現在信楽では、エクステリア、インテリア等々の陶器製建築材、タヌキ、フクロウ、カエル等の置物、花器、茶器、傘立て等の日用雑貨が生産されています。
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朝宮茶
 滋賀県の最高端、信楽町朝宮の標高400メートル前後の霧深い山間傾斜地で栽培される朝宮茶。朝夕、そして四季の寒暖の差が大きい環境で育った朝宮茶は、上質な香りとまろやかな旨みが高く評価され、五大銘茶の一つに数えられています。
 茶葉は、有機肥料主体の施肥で大切に育てられ、他の産地の茶葉とのブレンド、添加物等による味の調整等は一切行っておりません。また、蒸した茶葉を揉みながら乾燥させてゆく製造工程においも、昔ながらの伝統の製法を頑なに守って丁寧に製造していますので、1200年の歴史がある朝宮茶が持つ茶本来の自然な香りと旨みをお楽しみ頂けます。
 朝宮茶は今から1200年前、最澄が中国から持ち帰った茶の実を植えたのが最初といわれています。その後、嵯峨皇の命で信楽(近江)をはじめ、丹波・播磨に産茶として植えられ、鎌倉時代には八女(福岡)・宇治(京都)・川根(静岡)・狭山(埼玉)に移植したとされています。安土・桃山時代には庶民の食文化に普及し始めるとともに茶道の考案と確立で政治の世界に介入江戸時代には、現在飲まれているようなお茶がつくられるよになりました。また焼き物でも有名な地域ということで、信楽焼の茶碗、水差し、などが昔から重宝されています。
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